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おいたち3
 1995年、参議院選挙に初めての挑戦。本当に無我夢中、あっという間のたたかいでした。2回目の参議院選挙は、県下各地で日本共産党への大きな期待がひろがり確かな手ごたえを感じてのたたかいでした。

 そのレポートは「前衛」96年12月号に掲載していただきました。このブログにも掲載しておりますので、お読みいただければ嬉しいです。

 結果、比例代表選挙では、県党史上はじめて10万票を超え、私も、148400票の得票でした。これは、奈良県の国政選挙では最高票となりました。




1999年、そうこうしているうちに北野県議団長と交代して急きょ、県議選に立候補することになりました。
立候補表明が、県議選告示まで2ケ月足らずのたたかい。北野さんの全面的なバックアップ、全県の党と後援会の燃えるようなたたかいで、超短期決戦の選挙でしたが、13000票を獲得、3位で当選することができました。

写真は、辻第一衆院議員と北野重一県議団長(いずれも当時)


この県議選では、田中美智子さんも今中せつ子県議と交代して県会初議席を、今井光子さんが2期目の当選を決め、県議会で3議席を獲得しました。私は、新人ながら県議団長として無我夢中のスタートを切ることになりました。

 「解同」関係、土建・建設関係の多い奈良県議会にあって、 「女3人で何ができるか」と攻撃をされましたが、党の国会議員団や市町村の議員さん、党支部のみなさんと、切実な願い実現にがんばりました。「女3人」の初仕事は、全市町村での介護保険の減免制度をつくらせたことです。

右から田中美智子県議、わたし、今井光子県議です。
 

2000年から、党県委員会の副委員長の任務にもつきました。写真は、県委員会事務所前で、県委員会の三役です。右から豆田書記長、澤田県委員長、私、そして田坂副委員長です。




 2004年、10月、新潟中越大地震。死亡68人、負傷者は5000人、全半壊家屋16000戸。痛ましい大災害でした。
 すぐに救援募金に駅頭に立ちました。党県委員会は、集められた救援物資をトラックにのせ何回も新潟へ。私は、県委員会の第2次救援行動で、党員や後援会員のみなさんと長岡市行きました。
奈良からの救援物資は大変喜んでもらえました。
 そのレポートも紹介します。

http://jcp-nara.jp/old/minpo/data/2004topics/20041115.html





 2007年のいっせい地方選では、県知事選で西ふみ子さんが18万を超える得票、そして県議選では生駒市から中野明美さんがカンバック、宮本次郎さんが2度目の挑戦で、生駒郡初の悲願の県会議席を獲得、県議会でもっと若い県議が誕生、現職の3人とあわせて、5人当選をかちとりました。

 これで県議会史上初めて議案提案権をもつ日本共産党県議団に、県知事選とあわせて大躍進のいっせい地方選となりました。
 県議会での議席占有率では、京都、高知、長野についで、全国第4位の県議団となりました。

 右から07年参議院候補の中村あつ子さん、宮本県議、田中県議、私、西ふみ子さん、今井県議、
中野県議、そして県議選郡山市区で奮闘した加藤宣之さんです。県委員会で午前2時頃でしょうか。本当に嬉しい万歳でした。
 
posted by: 山村さちほ | おいたち | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        









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