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「前衛」1997年12月号・「政権とる党への挑戦」
 「前衛」1997年12月号に、参議院候補として2度目の挑戦のレポート、「政権とる党への挑戦」を、掲載をしていただきました。

 「政治を変えたい」と熱い思いで県下を走りまわった日々、今、この思いをさらに燃やしていっせい地方選に臨みます。

 すでに県議選は、壮絶なたたかいが繰り広げられています。
 絶対に負けられません。みずからの4選と日本共産党県会6議席以上の獲得へ、なんとしてもがんばりたい。ご支援、心からお願いいたします。






レポートは続きを読むをご覧ください


有権者比得票率第8位の奈良で議席を    
     
              参議院奈良選挙区候補   山村さちほ

 衛星中継のテレビから流れてきた不破委員長の、大胆で新しい提案に、「ウワ一ッ」という驚きにも似た声が広がりました。9月22日、第21回党大会の不破委員長の報告を聞いていた党県委員会事務所(奈良市)でのことです。

 「当面の目標、第一段階の目標として、衆議院に百をこえる議席、参議院に数十の議席をもち、国会の力関係のうえでも自民党と正面から対決できる力量をきずきあげることを、全党の目標にしたしい」「今度の参議院選挙では、必勝区と非必勝区の垣根をとりはらい、全選挙区で、議席をあらそうかまえで「自共対決」の選挙戦をたたかうことを方針としたい」21世紀に政権をめざす党に、と力強い決意と気迫の報告に圧倒されつつ、「確かに今度は違う」と実感していました。

目のあたりにしている情勢の新たな発展、私の2度目の挑戦。「こんどは必ず勝利するたたかいができる」と確信しています。

 代議員として送っていただいた、第20回党大会を思いだしました。「よりよい生活を願う、すべての人のよりどころになる政党はいまや、日本共産党だけ」という情勢、歴史上まれにみる激動の時代が到来していました。「日本共産党と国民の共同の力で、新たな発展をきりひらくことができる」という決意と、大きな力をあたえてもらったことが、きのうのことのようです。
 
「20回大会決定を力にして、21世紀へつながる新しい歴史をみずからの力で主導的にきりひらこう」とよびかけた、不破委員長の結語を胸にきざみ、伊豆の山を下りました。 その直後、私は参議院選挙(95年)の候補者に決まり、活動を開始しました。私に国政の候補者がつとまるのだろうかという一抹の不安をもった、初の参院選挙への挑戦でした。

 95年7月の参院選挙で私は、党の候補者として、党の代表として、「日本共産党はどんな政党なのか、何をめざすのか」を心をこめて、精いっぱい語りました。支部主催の演説会が奈良県下のすみずみで開かれ、新しい層、新しい人たちと結びつき、対話と共同が大きく広かがました。

 県下47市町村をくまなく、演説、小集会、懇談、対話へと走りまわりました。選挙は自民党推薦、新進党公認候補との三つどもえのもと、新進党が当選し、私の得票は64278票(得票率13・7%)でした。悔しい思いがいまでも忘れられません。


□激変した情勢のもと注目集めた候補者発表の日
 あれから2年余、情勢は激変しました。日本共産党の不屈のたたかいは、県内でも、政治情勢を大きく変えてきました。わが党をのぞく各党は、いまだに参院選の体制すらととのえることができません。

  党奈良県委員会は、この絶好のチャンスをいかすには出足が肝心と、他党にさきがけて候補者を決定、一人区奈良での議席獲得をめざす強い意気込みをしめしました。

 7月4日、参議院候補者発表の記者会見がありました田辺実県委員長、松尾忠県選対部長とともにおこなった県庁記者クラブでの記者会見には、少し緊張して臨みました。記者は、「なぜ、こんなに早く発表するのか」「上げ潮のなかで共産党のやる気をしめすものですね」と注目しました。地元紙は翌日、この問の党の躍進ぶりにもふれ、「共産、台風の目になるか」と報道しました。

 それには根拠があります。自民党は現職(92年改選)がいるにもかかわらず、県連の主導権争いの内紛で、いまだに公認を決められません。しかも自民党は、前回参院選(95年)には公認候補を擁立できなかったのですから、事態は深刻です。新進党や社民党は、まだ方針すら固まっていません。

 新進党は、昨年の総選挙直後に、高市、前田両代議士が離党し、県民の批判をあびました。県議、市議らの離党もつづいています。今年に入って10市町村でおこなわれた中間地方選挙では公認を一人もたてられず、政党としての存在感はまったく希薄です。

しかも、県連幹事長が10月1日、住居侵入と窃盗未遂の疑いで逮捕されるという堕落ぷりです。地元紙にも「(新進党の)党基盤衰退は目をおおうばかり。凋落はもはや避けられない」と書かれています。

 「連合」が新進党、社民党などとともに「非自民・非共産」ですすめている参院選の統一候補選びは、いっそうの困難に直面しています。昨年の総選挙で県下四選挙区すべてに候補者をたて、14%の得票率を獲得した民主党も、「下落の一途」をたどっています。

 九月末におこなわれた田原本町議選では、民主党公認の現職が大幅に減票し落選しました。昨年総選挙比例票のわずか27%しか得られず、地元紙でも、比例票を大幅に増やして初の2議席を獲得した日本共産党の躍進と比較して、「何をしているのやら分からない政党は支持されないという典型」と書かれるありさまです。

 この勝利のチャンスをたたかいぬき、なんとしても、一人区の奈良選挙区で議席をとりたいと、あらためて決意を強くしています。


□有権者比得票率第8位の奈良で議席を

 奈良県では、党と県民が共同した運動がかつてなくひろがり、日本共産党躍進の波もこれまでになく大きく広がっています。

  党県委員会、地区委員会や支部がとりくんできた各種のシンポジウムには、保守無党派、革新無党派をはじめ多くの方が参加しています。とくに今年1月、県委員会主催で開催した「世界遺産シンポジウム」には、県内はもとより、近畿各府県や全国から、関心を抱いている市民をはじめ、行政関係者、宗教界の関係者など450人がつどいました。

  これはマスコミ各紙、地元テレビも特集を組むなど大きな反響をよびました。党の催しに初めて参加した真言立宗総本山西大寺の佐伯龍幸執事長は、「ひろい意味でとても意味のあること」と賛同の言葉を寄せ、自治体の幹部職員が「思想信条を超えてのとりくみに大賛成。文句なしのいい試み」と党議員に感想を寄せています。

 日本共産党と広範な学者、研究者、宗教者、奈良を愛する人びとと協力、共同の輪が大きく広がりました。

 こうした共同の広がりと日本共産党への期待の高まりは、あいついだ選挙戦の結果にもはっきりしめされています。
 ちょうど一年前の総選挙では、比例代表で過去最高の98401票を獲得、自民党の得票の42%にせまりました。

 有権者比得票率の8・86%は全国第8位です。第21回党大会が決めた参議院の目標は数十の議員団です。全国第8位の奈良県での議席獲得なしには、この目標は達成できません。犹笋国会にいかずして、どうして数十名の議員団が実現できるのか瓠修海了廚い覗肝呂鬚弔します。

 日本共産党の躍進の波は、さらに広がっています。今年たたかわれた中問選挙では、総選挙の比例票を次つぎに上回り、6月の大和郡山市長選挙では党単独推薦の太垣和一郎候補が37%を獲得、7月の広陵町長選挙では今井光子候補が41%を獲得しています。悪政への怒りと党への期待は、日に日に強まっています。
議員選挙でも党躍進の波は広がっています。

 1970年代当時、奈良県の日本共産党の地方議員数は26名でした。今年あいついで地方選挙がたたかわれ、すでに4議席増やし、史上最高の69名になりました。

  議席占有率は8・8%で全国順位7位です。他党の議席は自民党49、公明42、社民10、民主9、新進2、新社会1です。日本共産党はダントツの第一党です。


□地方選挙で刻む躍進の波
 奈良県党は新しい情勢のもとで、新たな可能性に挑戦してきました。6月に選挙があった明日香村では・衆院比例票の1・5倍の得票で・定数12の選挙で始めて複数議席を獲得しました。しかも、新人の候補者は、選挙一カ月前に入党したばかり普通の主婦です。「勇気をもってよく立候補してくれた」「私たちの代表だ」と、村の女性の期待が広がり、党の2人目の議員として押しあげていただきました。

 支部は昨年、飛鳥寺の住職や行政関係者も参加した「明日香法」や村づくりを考えるシンポジウムを開催し、共感をひろげていました。選挙に先立って、支部は大型ゴミの回収の問題と消費税の増税中止を求める署名を全戸に配り、有権者比15%以上の署名を集めました。

「総選挙前に新進党が消費税増税反対の署名を集めていたが、選挙が終わってもがんはっているのはあんたとこだけや」「消費税は困る。ゴミの問題もむちゃやし協力します」。無党派の主婦たちが、自分が住む地域で署名を集めるなど、保守的傾向がつよい明日香村にも、大きな変化がおこっていました。

 週一回の支部会議をつづけるなかで、村に責任をもてる支部になろうという論議も深まりました。新入党者を次つぎと迎え、あと一名で党員は倍加です。衆院選における比例票の5割の「しんぷん赤旗」読者の実現も、もう一息です。"なんでも議員だのみの支部"から、"自分たちで考え行動する支部"に変わろうという意気込みも高い。森本吉秀村議は 得票の一割の党員をつくれば、革新・民主の村長も実現できる」と語っています。

 7月に町議選がたたかわれた高取町でも、選挙のなかで新入党者を迎え、得票を大きく伸ばして高位当選、3選をはたしました。このことは町民を勇気づけました。選挙後に新沢明美議員といっしょに訪問した方がたから、いく先ざきで祝福されました。

「共産党の人たちが辻つじでマイクをにぎり、一生懸命に話をしてくれた。あんな話を聞かせてもらって、ほんとうによかった。みんなあれで、共産党のことを理解してくれたんではないかと思う」「話を聞いたら聞くほどに、ほんとうのことを言っているのは、共産党の人やなと思った」という声が多数寄せられ、ていねいに党を語ったことが、新たな共感を広げていることも実感しました。

 9月に選挙があった田原本町でも、得票数・率とも衆院比例票を大きく上回り28年ぶりに2議席を獲得しました。

 医療改悪が9月1日から実施された直後の選挙です。応援の演説をやっていると、どこでも、お年寄りや近所の人たちが顔をみせます。

 新人の高橋隆雄候補の地元では、近所から現職(保守系無所属)が立候補しているため心配もありましたが、隣近所の入たちが半分に分かれて日本共産党の候補者の手伝いにきてくれました。はじめは、選挙事務所をおそるおそる訪れていた婦人たちが、党支部の人たちと話しあい、いっしょに過ごすようになると、積極的に協力してくれるようになりました。

 最後には共産党の腕章を腕にまいて、候補者と町内をねり歩き、「私たちが高橋さんを当選させんと」と語りあうまでになりました。

この短期間の変化には驚きました。「共産党の人たちはどんな人だろうか思っていたけど、みんな温かくて、すばらしい人ばかり。本当に頼りになる」「いっしょに選挙ができて、本当によかった。こうやって町を変えていくんですね」「今度は参議院選挙で、山村さんも必ず当選してほしい」と、初の二議席実現を、わがことのように喜んでくれました。「世の中は音をたてて変わっているのですね」と感嘆の声があがったことも忘れられません。

 こうした一連のたたかいとその勝利は、参議院選挙にむけての党の躍進の大きな流れをつくっています。


□キャラバン行動―真夏のスタート
 8月12日から党大会成功と参議院選挙勝利をめざす全県キャラバンに出発しました。折からの連日の猛暑のなか、「もう、来年の選挙ですか」「早いですね」と声がかかります。どこでも大歓迎されました。

今回のキャラバンは、21回党大会決議案を正面にかかげ、21世紀にむけた希望ある未来を切り開く党の役割を訴えながら、街頭宣伝と対話で入党と「しんぶん赤旗」購読を訴えました。宣伝だけでなく、機関紙読者と党員の拡大も追求する。これは2年前のキャラバンでは考えられなかったことです。

 今回は、キャラバンに出発したその日から、新入党者を迎えることができました。奈良市の小林てるよ市会議員と、読者、後援会員を訪問して入党を訴えるなかで、息子さんと2人で飲食店を経営している女性が入党を決意されました。

 「困ったときは、いつも共産党の人に助けてもらった。大阪から奈良に移ってからも、病院で共産党の小林さん(市会議員)を紹介してもらい入院の費用もないところを助けてもらった。本当にありがたかった。共産党こそ弱い人の味方だ」と彼女はいいます。

「今度は、ぜひ入党していっしょに、世の中を変えていきましょう」との呼びかけに「私でよかったら」と、その場で入党を決意してくれました。「地域の身近かな方がたといっしょに共産党の活動ができるのなら心強い。党をもっと大きくしたい」と語っています。

 第21回党大会の発言でも有名になった奈良市の三碓支部は、小林市議と支部長を先頭に、日ごろの活動のつながりをいかして、党とつながりのある人には全員入党をよびかけ、党員の5倍化を達成しました。お年寄りも若者も協力共同する、すばらしい支部活動が広がっています。
 
  第21回党大会決議は党内外に大きな反響をひろげています。「どんな日本をつくるのか、日本共産党の考えが知りたい」と いう方にたくさん出会います。ある方は決議案の21世紀ビジョンをみて、「これがいい、これを待っていたんです」と共感して入党を決意しました。入党申込書には「党を大きくすること、政権をとる」と書いていました。

街頭からの訴えでも、二年前とはちがった鋭い反応が返ってきます。
11月2日告示で初の複数議席に挑戦する、五條市議選でのことです。じっと演説を聞いてくださった高齢の男性が駆け寄り、訴えるようにいうのです。

「このごろテレビで、橋本首相がでてくると腹が立って、すぐ消してしまう。顔も見たくない。年寄りのためだといって消費税をとって、どこにお金を使っているんだ。共産党はようやく時期がきた、ほんとうに頑張ってや」「お金持ちのための政治をやめて、貧乏人のための政治をやってや」と切々と話しました。

 香芝市では、立ちどまって聞いていた青年が、「これまで社会党を支持してきたが、もう信頼できない。共産党の考えを知りたい」と笑顔で語ってくれました。
「共産党の人やで」と、声をかけ合って次つぎと集まってきた人たちが、口ぐちに激励してくれることもありました。

  桜井市にすむ被爆者の男性は、「年寄りからお金をしぼりとろうとするような政治家は許せない。ボランティアで、平和の運動にも協力してきた。いまの日本は、アメリカの植民地だ。国民よりアメリカの利益を大事にしている。自分は自然に共産党を応援するようになった。どうしても大きくなってほしい。どんな協力でも、できるだけのことはさせていただきたい」と語っていました。

 キャラバン行動のなかで115人の「しんぶん赤旗」読者と34名の党員を迎えました。もっと大きくのびてほしいという党への期待を全身に感じる、楽しくて充実した毎日です。


□吉野の山村でも大きな変化が

 党大会の直前の9月、沢田博県書記長、藪坂明南地区委員長とともに、和歌山県に隣接する山村、野迫川村を訪問しました。この村で入党を呼びかけるためです。かつては3700人にいた村人口は、わずか800人となり、過疎に苦しんでいます。

 山の斜面に点在する集落は廃屋もめだちます。昨年総選挙での党の得票は11票です。党大会にむけ南地区委員会は、党員の全支部成果まであと4支部とせまっていました。この村でも、どうしても新しい党員をむかえたい、読者をつくりたいという思いをいだいての訪問でした。

 地元党員の吉野武文さんの案内で訪問した無所属の村会議員さんは自民党員です。「よくたずねてくれました」と大歓迎でした。「私は自民党員ですから、入党と言われても、おこたえできません」とことわりつつ、「総自民党化」した悪政を批判しました。

「政府は過疎地対策で金は出すが、すべてひも付きのお金。村が独自の発想で村民のためになる仕事ができるよう、自由に使えるようにしてこそ、地方分権ではないんでしょうか」「町村合併をすすめ、山間部を広域化した大きな町にしようと言われるが、こんなやり方では、ますます政治が村民から遠くなってしまう。この村に住み続けたいという人の思いはどうなってしまうのか」「山を守って生活ができるよう、林業に国が責任をもつ政策をすすめてこそ村民が守られるし、日本の国土を守ることになる、と私は思っている」。

 村の将来を憂える話でした。その気持ちが手に取るように伝わってきました。私たちは党の政策とともに、いま、無党派や保守の方がたと、自分たちの町や村、暮らしを守ろうという共同が全国に広がっていると話しました。

すると、「自分は自民党員だが、戦後50年以上も長く続く自民党の政治はおかしいと思っている」「共産党は筋をとおしていると思う」といって、「しんぶん赤旗」日曜版の購読を約束し、大会決議案も読んでもらうことができました。

 次に訪問したAさんは88歳です。ご夫婦で二人ぐらしです。入党を呼びかけたところ、「若いころからずっと共産党を支持してきた。共産党はスジを一本つらぬいている。こんな党がほかにあるか。以前は党に入ったろかと、思ったこともあった。いってくれるのが20年遅い。昨年は死にかけて今も重湯の生活だ。

 そんな自分が入っても役にたたんし、笑われるだけや」と固辞されました。20年前の村議選のなかで、村長を先頭に「共産党を落とせ」という常軌を逸した反共攻撃が展開された村です。この村で、50年にわたって党を支持し援助していただいたことに感謝して、Aさんと別れました。

Aさんが暮らすこの部落は、いま28世帯しかありません。そのほとんどが60歳以上の高齢者です。「この部落もあと十年もすれば消えてしまうかもわからない」と寂しくいう方もいました。自民党の悪政が、この小さな村で細ぼそと生活する人々を、いかに苦しめていることか。一日も早く政治の流れをかえることが切実に求められています。

 この短時間の行動のなかで、新しい「しんぷん赤旗」読者が2人増えたのも、村を大事に思う方がたの党への期待の大きさとうけとめました。

□「命を守る」-私の入党の原点
「私は、病気が三つもあるのです。これ以上体が悪くなっても、たとえガンになっても、治療をうけることはもうできない。食事をやめるか、薬をやめるか、もう生きていくのをやめよということではないですか」。九月の田原本町議選挙の支援のさいに出会った女性の切々とした訴えが胸にひびきました。

 候補者発表して、わずか三力月の間にも、刻々とこのような県民の苦しみが広がっています。
県内市町村を対象におこなった奈良県保険医協会のアンケートでは、国民健康保険証が交付されていない世帯が県下で6532世帯、全世帯の4・4%にのぼっています。

4年前には3500世帯でした。ほぼ倍増です。9月1日からの医療改悪についての県民医連の調査では、昨年比で患者さんが5%も減ったことが報告されました。受診抑制の実態は予想以上です。

 〃お金のきれめが命のきれめ"。もう待ったなしです。だまって見ていることはどうしてもできません。私は看護婦、保健婦として23年、「人の命を守る」仕事にたずさわり、多くの方がたといっしょに患者さんのため、充実した医療のため力をつくしてきました。学生時代に学んだ公衆衛生の原点-「すべての人がより人間らしく生きられる社会」の実現のために働くことが、私の入党の原点でもあります。

 だから国民の命をけずる悪政の押しつけは、絶対に許せません。怒りで身体が震えます。政治を変えることは私に課せられた任務です。

 第21回党大会で不破委員長は、「民主的改革を実行する民主的政権をめざすべき国民的必然性がある」と強調されました。それを実感する日々です。そのためにも、どうしても国会にいかなければと、胸を熱くしています。

 私は結婚後1980年から奈良の河合町に移り住み、地域の民医連診療所で8年間働きました。高齢化がすすみ、寝たきり老人も増え、さまざまな深刻な問題に直面してきました。

患者さんや地域の人びとといっしょに、さまざまな要求実現を町政にもとめる運動にとりくみました。そのなかで「病気があっても人間らしく生きたい」という願いは、政治を変えることなしにできないと、32歳で町議会議員になりました。

 2期8年、毎日が勉強と試練のなかで、住民の草の根の力と日本共産党が力をあわせることが、世の中を変える力だと知りました。いまこそ、これを現実のものとするときです。

 私は、1955年に愛媛県宇摩郡の農家に生まれました。 
 父は小学校5年のときに病死しました。それ以降、朝5時におきて田畑の仕事や家事をして母を助ける生活でした。

せっかく育てたみかんが、オレンジの輸入自由化でだめになり、子ども心に怒りを感じたことを、いまも覚えています。

 ゆとりなき生活(くらし)に追われ過ごす日々心渇きて亡き夫偲ぶ

 銃もてる兵士の如く生きて来し夫なき二十年の歳月ながし
 
 母の歌です。女手一つで2人の子どもを育てあげた苦労は言葉ではいいつくせません。激しい労働のなかでも、よく本を読み、「共産党は弱いものの味方だ」と教えてくれた母。

短歌に自分の思いをこめ、どんなに貧しくとも、苦労をしても人間らしく生き、人として誇りをもって生きる母でした。その影響もあって、宮本百合子やキュリー夫人など、社会に貢献し自立する女性にあこがれていました。

「女も職業をもたねばだめ」は母の口癖です。母は私が自分の信ずるとおり、自分の目標をもって生きることを心から応援してくれました。
この母のためにも、思いきりがんばりたいと思います。


□新しい日本、新しい奈良県へ

 いま県下どこでも、共産党を支持する支持しないにかかわらず、多くの人が自民党政治のゆきづまりを肌で実感しています。怒りの声をあげています。日本共産党の各地での躍進が県民の希望になっています。

 20年前、「何のために、どう生きるのか」悩んでいた私は、日本共産党と科学的社会主義にであい、「社会の進歩に役立つ生き方」があることを知りました。人類の未来と日本の未来に、とても大きな希望を見つけた喜びに胸をときめかせて入党した、当時のことを思いおこします。

 いよいよ、新しい日本をつくる目標にむかって、実現への一歩を踏み出すときがきました。
140万県民の心をしっかりうけとめ、国民が主人公の政治を実現するという入党の初心にかえり、党員、後援会員、支持者のみなさんと力をあわせ、この一歩を、歴史に残る大きな一歩とするために、必ず勝利する決意です。
              
                                             一やまむら・さちほ一
 

posted by: 山村さちほ | おいたち | 08:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        









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